アルカイックスマイル






休日の午後には自室にある気に入りのソファで読書をする事が鏡夜の習慣になっていた。橘が淹れてくれたダージリンの馨しい香りの中で鏡夜が読書に勤しんでいると、行儀悪くカーペットに寝転がっていた環が構って構ってと鏡夜の脚に絡みついてきた。

「鏡夜…俺は今もの凄く退屈で退屈で死んでしまいそうなのだが…」
「そうか」
「…う…鏡夜ったら冷たい…」

正直鬱陶しい。表情には出さずに鏡夜は心中で小さく嘆息した。

「…もう少しで読み終わるから大人しくしていろ」

鏡夜に窘められ、環は不満げに口唇を尖らせる。もう少しっていつ?そんな紙束じゃなくて俺の相手をして!子供のように叫び出しそうになるのを、環はぐっと飲み込んだ。読書中の鏡夜は殊更冷たい。あしらわれ、言い包められるのが関の山である。それでも食い下がらずに鏡夜にちょっかいを出していた環だが、どうしても相手をして貰えないことがわかると、ベロア素材のクッションを胸に抱きながら再びカーペットに寝転がった。

ごろごろと寝返りを打つのにも飽きた頃、環は悪戯を思いついた子供のように笑うと鏡夜の隣に上がり込んだ。二人分の重みに革張りのソファが小さく軋みを上げる。

「………」

ぽすんと腿の上に落ちてきた金色の形のよい頭に鏡夜は眉を寄せた。何のつもりだと視線だけで尋ねると「ひざまくら!」と環は悪びれる素振りもなく(むしろ嬉々として)言い放った。にやにやと笑う環に薄ら寒いものを感じた鏡夜だが、読書の邪魔をされるよりは…と環の行動を許容した。




読書を終えた鏡夜は、傍らにあるローテーブルに文庫本を置こうとして腿上に落ち着いている環の存在を思い出した。意識的に忘れたわけではなかったが、文字を追っている内に自然と環の存在を意識の外に追いやってしまっていたらしい。

「…鏡夜、俺の存在忘れてたでしょう。ずっと見てたのに気がつかないんだもん」

確かに、と鏡夜は頷いた。

「…み、認めるのだな、鏡夜は俺を忘れていたと認めるのだな!」
「悪かった。そう拗ねるなよ」

別に拗ねてないもん、と環は頭を鏡夜の太腿に預けたまま唇を尖らせる。そんな環の様子に鏡夜は小さく笑い、子供を宥めるように環の頭を撫でた。それだけで機嫌が直ってしまう辺り、環は単純だ。

「…鏡夜ってさ、」
「…ん?」
「睫毛、長いね。…緩くカーブしてて、すごく綺麗だ」

すっかり機嫌の直った環は慈しむように目を細めた。鏡夜に手を伸ばすと眼鏡の蔓を摘み、そっと取り上げる。

「瞳もすごく綺麗だ」
「…お前はよく億劫もなくそんな薄ら寒い台詞が言えるな…。聞いている方が恥ずかしい」
「何がだ?」

きょとん、として尋ねる環に、無自覚だから余計に性質が悪いのだと鏡夜は心中で嘆息する。

「何でもないさ。…それより、いつまで頭を乗せている気だ?」
「…なんだか眠くなってきたにゃー」
「ふざけるな。寝るならクッションを使え。俺を枕にするな」
「そんな怖い顔しないでよ。わかった。じゃあ、もう少しだけ。ね?」
「……まったく…」

鏡夜は小さく嘆息した。仕方がない奴だな、と鏡夜は日本人特有の口角を軽く上げるだけの慎ましやかな微笑みを浮かべると、環の髪を梳くように撫でた。身体に染み込んだ癖なのか、若しくは意識的になのか、環は鏡夜の手に頭を摺り寄せてくる。まるで猫だな、と鏡夜は切れ長の眸を優しく細めた。

「鏡夜の手、気持ちいいにゃあ…」

とろりと融けてしまいそうな声で環は呟いた。

「…鏡夜っていい匂いがするよね。シャンプーの匂い?それとも香水かにゃ?」

続けて問いかけると、すんすんと環は鏡夜の服に鼻をうずめた。

環は他人の匂いや体温が好きだ。誰彼構わず触ったり匂いを嗅ぐようなことはしなかったが、二人きりで穏やかな時間を過ごしている時や情事を終えたベッドの中で環は鏡夜を貪欲に欲する。西洋人と東洋人の差だろうか、時折、環の積極性に鏡夜は戸惑うことさえあった。

「やっぱり鏡夜の匂いって落ち着く」

本当にこのまま寝てしまいそうだと呟く環に鏡夜は微笑み、傍らにあったクッションを環の顔に押しつける。

「うっ、き、鏡夜!何をするのだ!?」
「俺を枕にするなと言っただろう」
「……鏡夜の意固地」
「それはどうも」
鏡夜がにこりと笑うと、褒めていないぞ!と環は半身を起こした。そしてやっと自由になった鏡夜はソファから立ち上がろうとして、失敗した。環が鏡夜の腰にがっしりと抱きついていたからだ。

「……離せ、環」
「いやだ!いやだいやだいやだー!」
「…お前な、」
「だって、せっかく二人きりなのに寂しいじゃないか」
「…すぐに戻ってくる。離してくれないか、環」
「やだ」
「戻ったらいくらでもキスをしてやるから」 言いながら鏡夜は環の口唇の端に掠めるようなキスをする。鏡夜の精一杯の譲歩に、環は渋々といった様子で頷いた。

「…じゃあ、いっぱいする」

ぐずぐずと子供のように渋る環の扱いにも慣れてきた。すぐ帰ってくるから、と頬を撫でる。環が小さく頷いたのを確認すると、鏡夜は今度こそソファから立ち上がった。