口実の罠に気付きもせず







「いい映画を見つけたんだ。観に来ないか?」


そんな誘い文句に乗ってやり、制服のままで環に付いて来た。着替える暇も与えられなかったのは不服だが、明日は土曜日で学校も無いから別に構わない。何が構わないのかは正直自分でもよくわからないのだが。

ジャケットを見るに、如何にも環が好みそうな映画である。家族を題材にしたヒューマンドラマだ。「全米が泣く!」との見出しを見つけて、きっと環は泣くのだろうなと思った。環の嗚咽を聴きながらおよそ二時間を堪えなければならないのだと思い当たり、うんざりした。涙と鼻水まみれの酷い顔で、環は俺に抱きついてくるのだろう。そうなる前に脱いでおいた方が良さそうだ。

ブレザーを脱ぎ、首元を緩める為にタイを抜き取る。シュッ、と布擦れの音がした。釦を二つ外すと、漸く息苦しさから解放される。溜め息を吐いたところで此方をじっと凝視する環に気付いた。

「…ん?どうした、環?」
「…いや、なんだか鏡夜じゃないみたいで違和感があるというか…新鮮というか…」
「お前が早くと駄々をこねるから着替える暇が無くて、こんな格好を見せる羽目になったんだろう」
「ご、ごめん。…でも、うん、こういうのって『役得』って言うんだよな」

環が何かを呟いたが、よく聞こえなかった。環はひとりうなづきながら、途切れた会話を気にする様子も無く、紅茶の注がれたティーカップへと手を伸ばしている。きっと大したことではないのだろう、と自己完結をして、聞き返すのを止めた。俺達の会話は大体こんな形で終わりを迎える。俺は環に続いて、温かなプリンス・オブ・ウェールズを口内に流し込んだ。




それからソファに座り、クッションを抱いて映画を見た。ベロア素材のビーズクッションは触り心地が独特で、わりと気に入っていた。形がハート型で尚且つ色がピンクというのが、何とも腑に落ちないところではあるが。

「…ラスト、本当に感動的だったね」

たしかに「全米が泣く!」だなんてチープな文句を売りにしている割に、最後まで退屈しないほどには面白いヒューマンドラマだった。所詮はフィクションだろう、と思ったが面倒なのでとりあえず頷いておく。そういえば、こういうのに弱い性質だとばかり思っていたが環は最後まで泣かなかった。それはきっと集中せずに、俺の方ばかりをチラチラと伺っていたからだろう。終始一緒にいると言うのに、どうして俺を気に掛ける必要があるというのだろうと思いつつ、俺はずっと環の視線に気付かない振りをしていた。

「…あーもーダメ!限界だ!ギブアップ!降参だー!」

環は突然両手を挙げると、大声で叫んだ。何故か、息が乱れている。頬も赤い。目が血走っている。

「…なんだ、突然……」
「ネクタイしてない鏡夜って凄く無防備に見えるんだよね、本当に」
「? 何を言ってるんだお前は」
「しかも、こんなに美味しそうな鎖骨をずっと見せられてて我慢出来ると思う?」
「な…おい、バカ……!」


悪態を吐きながら、近付いてきた唇を受け止める。どこか甘い紅茶の味。


――もしかして俺はどこかでこれを期待していたのかもしれない、と思った。